大都会のコスモス畑

2008/9/8 浜離宮恩賜庭園で撮影

承応3年(1654)、四代将軍家綱の弟で甲府藩主の松平綱重が日比谷入江の一部を埋め立てて甲府屋敷といわれる別邸を建てた。
その後、綱重の子供の綱豊(家宣)が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家のものとなり、名称も浜御殿と改められました。
 以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成した。
明治以降皇室の所有となり、浜離宮と呼ばれ、昭和21年から一般開放され、『浜離宮恩賜庭園』となった。
都市の高層ビル化が進み、江戸時代の茶屋の建物と庭園の背後に壁のように立ちふさがりなんともいえない対照を見せている。