D90が観た画像  edojyo-003

撮影地
撮影日時
作品のタイトル 戦国時代の土建屋・藤堂高虎
作品の概要 戦国時代の土建屋と異名を取る・藤堂高虎の築城した城及び縄張りをした城を順に示す。
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・1585年(天正11年) 丹波・出石城
・1586年(天正13年) 大和・郡山城
・1587年(天正14年) 京都・聚楽第(縄張り)
・1587年(天正15年) 紀伊・猿岡山城
・1594年(文禄3年) 京都・伏見城(秀吉の命により助工)
・1596年(慶長元年) 伊予・宇和島城
・1597年(慶長2年) 伊予・大洲城
・1601年(慶長6年) 近江・膳所城(築城助工及び縄張り)
・1602年(慶長7年) 伊予・今治城及び伏見城の修理助役
・1606年(慶長11年) 江戸城大修理の縄張り

・1608年(慶長13年) 伊勢・津城の大改築及び伊賀上野城の大改築
・1609年(慶長14年) 丹波・篠山城
・1610年(慶長15年) 丹波・亀山城の普請の手伝い
・1617年(元和3年) 日光東照宮の造営奉行
・1619年(元和5年) 京都・二条城の縄張り及び和歌山城の石垣工事
・1620年(元和6年) 大坂城の修復
・1623年(元和9年) 山城・淀城築城の普請を手伝う
・1628年(寛永5年) 京都・南禅寺に三門を造営・寄付
以上が高虎の築城歴です。

築城の他にも縄張り(設計)や普請の手伝いも行っています。
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主君から普請奉行に指名された高虎は、同郷の甲良(こうら)大工の宗廣を大棟梁に抜擢し、家康が亡くなった年の秋から日光東照宮の工事にかかり、約半年で廟を作り上げた。
そして、二代将軍秀忠の許可を得て、久能山に仮埋葬されていた家康の霊柩を日光に移したという。
このように徳川家康からも名築城家として高く評価されていた高虎によって、近世の城郭は、戦国時代の戦略的な山城から、平城の政治的城郭へ脱皮したと言われている。
高虎の築城は石垣を高く積み上げる事と堀の設計に特徴があり、同じ築城の名手でも石垣の反りを重視する加藤清正と対比されるところである。

   

   

       

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