D90が観た画像  edojyo-004

撮影地
撮影日時
作品のタイトル 藤堂高虎の縄張りによる江戸城
作品の概要 徳川家康は慶長八年(1603)に江戸幕府を開府すると、『天下普請』を発令し、全国各地の諸大名を江戸城の大改修に動員させた。

縄張りは平城のため、「幅の広い水堀」と「高い石垣」で、完璧防御目的で設計している為、外濠は総延長14キロメートルとなり、外濠や内濠に架かる橋と城の出入り口は「見付け門」が立ち、枡形門といい守りの堅い城門で守られている。

神田川(かんだがわ)の開削工事は、主に東国の諸大名が動員され、石垣用の石の調達は、主に西国の諸大名が動員された。
西国の諸大名は、自藩から石を運ぶには無理なので、伊豆半島の東伊豆や熱海、真鶴などの山から調達し、海路で江戸城まで運び込んだ。

諸大名が莫大な費用負担に苦しむ事になった『天下普請』は家康、秀忠、家光の三代にわたって行われ1630年代に完了するのである。

これには、各地の外様大名の力を押さえるという幕府の思惑が有った。

   

       

アクセスカウンター アクセスカウンター アクセスカウンター