いざ!鎌倉・15万歩目まで
鎌倉古街道のうち、「上ノ道」は,鎌倉の鶴岡八幡宮前から
「武蔵国の国府(現在の府中市)」を通過し,「上野国の国府(現在の前橋市)」
を目指し、真っ直ぐ北上を続けると,『東村山』に着く。
東村山市は、鎌倉時代も上野国と武蔵国の中間点であって,現在は,
埼玉県と,東京都の境でもある。
この地は,戦乱の多いところであった。特に,名高いのが,狭山丘陵一帯で,
新田義貞の鎌倉攻めの初戦が繰り広げられた所で有る。
しかし、江戸時代は徳川の鷹狩場として、開発は禁じられ,田園地帯で有ったが,
第2次世界大戦後,東京のベットタウンとしての役割を担い,
開発に次ぐ開発で,すっかり都市化してしまった。
 いざ!鎌倉古街道も,東村山辺りが北限である。

今回のウォーキングをもって,最終回とする。


府中街道と平行しながら,東村山の住宅街にいまなお、鎌倉古道は生きている。 古道の行く手に古い門構えをした お屋敷があり、道は,左右に分かれた。 左手に行くと,徳蔵寺から、久米川古戦場、 右手に行くと,梅岩寺である。
梅岩寺の山門と,樹齢700年と 言われているケヤキの木と,カヤの木  梅岩寺の本堂
住宅街の片隅に、ぽつんと立てられている石碑と説明板 久米川古戦場の解説をしている。
元弘3年(1333)の鎌倉幕府倒幕の合戦で戦死した従者3名を弔う為に、新田義貞が立てた板碑があった場所。 標高90メートルの山頂からは,見晴らしが良く,八国山といわれ,新田義貞が,合戦の指揮を執った場所。八国山とは,上野,下野,常陸,安房、駿河、相模、甲斐の8国の山並みが眺められた。  ・・・・将軍塚の記念碑・・・・
八国山のハイキング道 北条時宗とも所縁のある正福寺の山門
山門を潜り,地蔵堂と本堂を望む。 都内唯一の国宝建造物の正福寺の千体地蔵堂
正福寺の本堂と,客殿を望む。
      

     

 

昨年の10月から,9回にわたって,歩きつづけた「鎌倉古街道の上ノ道」も、
東京都の端,東村山市を、とりあえず,終着点として,
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