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:第8話 「木造で復元された天守閣・その3」(宮城県・白石城) |
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| 編集日 |
:2001/3/8 21:10 |
江戸時代の末期には「大名の数・三百諸侯」といわれているので、当時、
城の数は300有ったと思うが、大政奉還前の「戊辰戦争」及び、明治政府の
廃城(取り壊し)や、太平洋戦争などでほとんど、姿を消してしまった。
戦後、市のシンボルとしての天守閣の建設ラッシュが続き、鉄筋コンクリートの
復元城が出来、観光施設や歴史資料館の役割を果たしている。
さて、話しは変わるが、近ちゃんの住む町「海老名市」と、「白石市」が
姉妹都市を名乗っており、市の広報新聞に「白石城」の復元の案内があった。
夏休みのある日、東北南部地方の城めぐりに出かけた。
「山形城」「上山城」「白河城」「二本松城」「三春城」そして、「白石城」
JR東北本線の白石駅で下車し、駅前の食堂で、お薦めの「うーめん」なるものを
オーダーする。
お城まで、1キロメートルの道のり、ぶらぶらと歩く。
白石城の復元は、昭和63年に、「くらし日本一」を目指した第三次白石市総合計画
の二大核事業のひとつとして計画。
歴史を永代に伝えるため、文化財の保護を重視し、発掘調査を行い、そのうえで
史実に忠実に、城郭として機能した最晩年の構造による天守閣、大手門を建設する。
建物は、日本古来の建築様式に基づき、数百年の歳月に耐え得る、全国にも
数少ない木造による復元を採用している。
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『白石城が存続した理由』
慶長20年(1615)、大坂の陣において豊臣家が滅亡すると、江戸幕府は
元和の「一国一城令」を発布し、一国に一つの城のみ残し、支城はことごとく破壊させた。
一部の大藩(毛利家、池田家、仙台藩、熊本藩、秋田藩)は例外として居城以外の城
の保有を許されていた。
白石城は元和の「一国一城令」以後も特に許されて仙台藩の2つめの城として
そのまま存続。
復元された城は昔の建築様式のまま、数百年の歳月に耐え得る構造になっている。
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真新しい、真っ白い白壁や白い玉砂利に、真夏のじりじり照り返される太陽光線で、
写真はハレーションを起こしてしまった。
・・・平成7年8月26日のことなり。


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