D90の後継機  d7500-22049

神奈川県鎌倉市大町 妙本寺
撮影日 :  2022−4−2
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鎌倉での桜の撮影は、最初に段葛のソメイヨシノを選び「鶴岡八幡宮」へ参拝に行ったのだが、正直言って人ごみの中を歩くのは、今の季節に「新型コロナ」の症状の出ない人に係わり合いがありやしないかと、心配である。

次の桜の撮影は妙本寺を選び、鶴岡八幡宮の東口から出て、宝戒寺の前を通り、そのまま裏道を歩き、やがて、妙本寺の山門に出た。
妙本寺はいつ来ても参拝者は少なく、静かなところで心が落ち着くのだ。
これは、妙本寺の開山に由来することかも知れない。

この地は比企能員一族が住む谷戸であったところから「比企谷(ひきがやつ)」と呼ばれていた。
建仁3年(1203)、比企一族は、第三代将軍源実朝をめぐる北条時政の謀略により滅ぼされます(比企の乱)
この時、まだ幼少で京都にいたため生き延びたのが比企大学三郎能本。
能本は、後に日蓮聖人に帰依し、自らの屋敷を日蓮聖人に献上したのが妙本寺の始まりです。

鎌倉で最も大きな木造の祖師堂(江戸後期の建築、入母屋造り桟瓦葺(旧茅葺)、正面一間向拝付、桁行五間(六十一尺六寸)、梁行六間(六十四尺九寸))を背景に、日蓮聖人の銅像の前の二本のソメイヨシノと八重桜と海棠のピンクの花が競い合っていた。