D90の後継機  d7500-22135

神奈川県鎌倉市扇ガ谷
撮影日 :  2022−9−16
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かってNHKの「人気番組」でも取り上げた事がある。 2015年5月9日に「ブラタモリ」によって、全国的に知られる事となった「浄光明寺」は、源頼朝が文覚に建てさせた堂がそのはじまりであるとも、頼朝の子といわれる島津忠久が建てた寺がそのはじまりともいわれている。
1251年(建長3年)、北条長時(のちの六代執権)が開山に真阿を招いて再興し、「浄光明寺」としたものである。

このお寺は、国の史跡に指定されており、貴重な名仏や遺跡が残されている。
特に収蔵庫に安置されている阿弥陀三尊像は、国の指定重要文化財で鎌倉彫刻の傑作と名高い。
また、歴史的には、建武2年(1335)、一時足利尊氏がこの寺に引き篭り、後醍醐天皇に対し挙兵する決意を固めたという。

裏山には14世紀の歌人、冷泉為相の宝篋印塔(お墓)があります。

鎌倉幕府滅亡後の室町時代には、鎌倉時代から継続して足利尊氏や足利直義から関東各地の多くの寺領の寄進や庇護を受け最盛期を迎えました。
しかしその後寺勢は衰え、江戸時代には伽藍は荒廃し、本堂も失われました。
その後、住僧の勧進や鶴岡八幡宮寺相承院元喬僧都の援助を得て、寛文8年(1668)を得て仏殿を再興し法灯が保たれ、現在は、山門と客殿と庫裏と不動堂と鐘楼と仏殿と収蔵庫があります。