D90の後継機  d7500-23059

神奈川県鎌倉市大町3−1−22
撮影日 :  2023−4−23
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北条政子が夫・源頼朝の冥福を祈って建立した長谷笹目が谷の長楽寺(嘉禄元年・1225)は、(現在の「鎌倉文学館付近」だと言われる。)鎌倉幕府滅亡(元寇三年・1333)とともに焼け落ちた。
そこで、長楽寺から現在地に移った。  だが、再び江戸時代(延宝八年・1680)に寺は、全焼した。
そこで、源頼朝に仕えた田代信綱が建立した田代寺(建久三年・1192)の観音堂を移築して寺を統合した。  安養院の名は北条政子の法名である。

2001年に、安養院のつつじを取材した時は、バス通りに面した正門から裏門のつつじは歩道の上に伸びており、雨が降っても濡れることは無かったが、その後いつしか、刈り込まれてしまい、境石の内側に入ってしまった。
2019年の台風19号で、本堂裏手の祇園山が崩落して、2つの宝篋印塔(尊観の供養塔)と(北条政子の供養塔)に被さっていたつつじも無くなっていた。

境内に100株ほどあるつつじの古木は、どこにも記録がないけれど、最後の火災から、樹齢340年あまりと思われ、樹高は3〜4メートルもあり、一株は20本ほどに枝分かれしていました。