2012年の春に、「目黒雅叙園の雛まつり」で、『北前船』の運行の副産物により、酒田や鶴岡に、京文化のおひなさまが多数存在していることを知った。
そして、2014年3月に、山形県酒田市や鶴岡市のお雛さまに出会った。 その後、2023年に秋田県の由利本荘市や湯沢市で多くのお雛さまに出会い、帰路に山形県新庄市で、上方や江戸のお雛さまが多数ある事も知った。そして今回、山形県の内陸部に上方や江戸のお雛さまが、名前の知らない市や町に点在していることも、初めて知ったのである。
これは、江戸時代、最上川舟運最大の中継地であった大石田河岸に、近隣から大量の米や紅花が集められ、最上川を下って酒田へ、さらに酒田からは海路で大坂や京都、江戸へと運ばれました。
その一方、上方や江戸からは、当時最先端の文化・芸術が山形県の内陸部に、もたらされました。 その流行の文物の一つが、絢爛豪華な雛飾りだったのです。
現代では、昔話となってしまったが・・・、大石田には、徳川時代末期の安永年間(1772〜1781)から「お雛見」という風習がありました。 月遅れの四月三日、旧家に飾られた雛人形をご近所や子どもたちが見て回る、というものです。 家によっては、上方や江戸で流行っている「めずらしいお菓子など」が振舞われていたとか。
雪深い大石田の冬の終わりと、待ちわびた春の訪れを互いに喜びあったそうです。 |