+D7500機  d7500-24075

山形県米沢市丸の内一丁目
撮影日 :  2024−3−31
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上杉家の家祖・上杉謙信は、上杉家の16代目に当たる人物で、天正6年(1578)に、49歳でなくなり、遺骸は甲冑をつけ、甕に納めて密封し、春日城に納めました。  家督を継いだ上杉景勝が、慶長3年(1598)、120万石で会津に移ると、遺骸もまた会津城内に移され、さらに慶長6年(1601)、関ヶ原合戦後の処理で、30万石になり、米沢に移封とともに、米沢城内の御堂に安置しました。

その後、寛文4年(1664)3代藩主に世継ぎがなかったので養子を迎え、15万石に減封される。
8代藩主の時代には、藩財政は破綻寸前の状況になるが、9代藩主鷹山公は質素倹約、学問の奨励、殖産興業に率先垂範で取り組み、藩復興に当たりました。

今でも、名君と慕われる上杉鷹山は、明和4年(1767)17歳で上杉家を継ぎ、桑の栽培と養蚕を奨励し、産業を興します。そして、米沢織、米沢鯉、ウコギ、笹野一刀彫など、米沢市の名産・伝統品として今日に受け継がれている産業を根付かせていきました。