現在の東京都品川区に、奇妙な地名を持つ、創建は「鎌倉時代の1323年頃」北条四郎左近太夫陸奥守重時は五男の時千代に多数の家臣を与え蛇窪(現在の二葉、豊町、戸越、西太井の一部は、蛇窪村)と言われていました。
それから50年後の1322年に、武蔵の国一帯が大旱魃となり、飢饉の到来は必至となりました。
この時、森林の古池のほとりにある「龍神社」に雨乞いの断食祈願をしました。 大雨が沛然と降り注ぎ、大危機を免れました。
これに感激した時千代の旧家臣たちは、蛇窪に神社を勧請し、現在の蛇窪神社の縁起です。今年は、蛇年、テレビでも取り上げられたこの神社には、鳥居前に100メートルほどの長蛇の列ができ、本殿に参拝するまで、約、2時間かかりました。
令和3年4月1日に鎮座七百年を記念し、石窟・社殿・弁天池・白龍の瀧が建て替えられ、銭洗を新造しました。
なお、正月はお参り客が多いと言うことで、銭洗い場は閉鎖しており、あらかじめ「白蛇種銭」が用意されていました。
境内にある「法蜜稲荷」は、雨乞いが行われてから七百年目の令和4年11月1日に建て替えられました。
蛇窪神社の清水が湧き出る洗い場が無くなり、白蛇は戸越公園の池に移り住んでいましたが、土地の有力者の夢枕に現れ、「一日も早く元の住み処に帰して欲しい」と、懇願したそうです。 そこで、弁財天社を建立しました。
戸越公園から引っ越す時に、途中の「大原不動尊」の池に立ち寄った。 と、伝承されています。 |