いまから1285年前の、天平13年(741)に聖武天皇の「国分寺建立の詔」によって建てられました。
しかし、9世紀に入ると、律令国家の衰退に伴い、資金繰りから次第に衰退が進行しました。
そして、878年の相模・武蔵地震で本尊などの仏像が破損したうえ、地震直後の火災で焼失しました。
鎌倉時代以降、相模国分寺は文献上に姿を見せなくなりました。再び相模国分寺が記録に現れるのは、安土桃山時代になり、この場所から100メートルほど離れた「現在の相模国分寺」であり、豊臣秀吉の小田原征伐や徳川家康の寄進や勧進などで再建がなったことです。
幕末になり、相模国分寺は三度衰え、本堂・経蔵・山門が倒壊した。 1910年に古代から残った唯一つの薬師堂が焼失しました。
1994年に現在の相模国分寺の姿になりました。
国分寺と相模国分寺は、距離は100メートルしか離れていますが、政治・経済や運営体制も違いがあり、別物と考えております。
なお、昭和46年、海老名も高度経済成長の波に乗り、11月1日に海老名市になり、奈良時代から町の中心になっていた高台「相模国分寺付近」から駅舎を500mの田んぼの真ん中に移動した。
そして、新設された海老名駅前には、広場と相模国分寺の七重塔(65m)をモデルにした『三分の一のシンボルタワー』を建てました。
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