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武家屋敷・青柳家 |
ところで、青柳家は西暦1570年に当主・青柳和泉守が佐竹義重の側近となって以来、佐竹家に仕えていたが、1597年に、青柳主水正が芦名義勝に仕えてから芦名家家臣となった。 1603年に青柳藤右衛門は芦名義勝に伴って角館入りし、芦名家断絶後、佐竹北家の組下となった家柄。 代々の役職は納戸役を多く勤め、実禄は104石。高い格式を誇っていた。 主屋は寄棟萱葺き屋根の鍵屋で、座敷は現存する角館の武家屋敷のなかで最も豪華。 敷地は3千坪あり、薬医門を入った敷地内には,井戸屋形,米蔵,文書蔵,正玄関,脇玄関などがあり,角館の武家屋敷の建築様式を現在に伝えている。 さらに秘蔵品を公開する武器蔵・秋田郷土館・武家道具館・ハイカラ館もある。 邸内には600種類もの草木花も植えられ、庭園も歩きながら見て回るようになっている。 |