いいやま寺めぐり・本光寺

日蓮宗 日照山 本光寺

創建は天正10年、飯山城を築城した際、城から真西であるこの地に七面大明神を遷座したと伝えられている。
当初は鎮守堂や法華堂と呼ばれていたが、元和2年藩主佐久間安政が養明寺四世日陽上人を招き、本光寺と改称。
又、境内裏山の墓所には江戸時代新田開発に尽力を尽くした野田喜左衛門の墓碑がある。
なお、七面堂には 七福神の一人・弁財天が祭られていたし,向拝には「火焔親子龍」の彫り物があった。
ここの彫り物に付いても学芸員のところに情報は無かった。