いいやま寺めぐり・大聖寺

曹洞宗 韶陽山 大聖寺

元和2年に飯山城主となった堀丹後守直寄により現在地に移され大聖寺と改称した。
大聖寺は堀家の菩提寺として庇護され、掘家移封後も新たに飯山藩主となった佐久間氏の菩提寺となる。
本堂も比較的新しい建物だし、彫り物も新しいので、現地に電話した。
火災にあい明治3年から13年に掛けて再建された。
更に、平成12年から14年に掛けて大改修を行ない、トタン屋根から銅版葺きへ、建物は柱・壁に至るまで洗浄、 向拝の獅子頭、象鼻、3頭の火焔・親子龍も洗浄された。
なお、立派な龍の彫り物なので、彫り師の名を聞いた。
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彫り師のプロフィールを紹介しよう。
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糸魚川の西側に位置する「越後市振村(現青海町)」の宮大工・建部家に生まれた喜代松は、18歳頃から鬼無里を訪れ、諏訪神社の屋台、鬼無里神社屋台、加茂神社の神楽などの製作に加わった。
建部家は彫刻を得意とし、才に恵まれた喜代松は生粋の彫刻師に鍛えられる。
鬼無里神社屋台や三嶋神社屋台の籠彫り、生気を感じさせる龍・鳳凰などの彫り物がその技の冴えを物語る。
喜代松は文久年間に、長野村(現長野市)の北村ふさ(鬼無里生まれ)の婿となり、建部姓から北村姓となるが、建部家の世襲名正信(三代)はその後も名乗っている。

よって、文献等には、『北村喜代松(三代正信)』と記されている。