いいやま寺めぐり・西敬寺

真宗大谷派 倉科片雄山 報恩院 西敬寺

西敬寺の創建は慶長7年釈善巧が開山したのが始まりと伝えられる。
当初は川中島倉科にあったが川中島の合戦の兵火により焼失し永禄年間に中野牛出に移り、その後、飯山町深沢に移り、寛文12年に現在地に移っている。
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飯山市ふるさと館・学芸員さんから得た情報 (2010-10-14 追記)
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現在の本堂は、享保12年と安永5年の火災で2度焼失、安永9年に再建されたものである。
棟札より、大工・棟梁は佐藤権之助、副棟梁は関庄五郎との事、欄間の彫り物も彼らの作品か?

寄棟、金属板葺き、同時期に建てられたと言われる茅葺の山門や鐘楼など当時の雰囲気を残している。
古くから武田信玄の縁の寺と言われ、寺宝である木造聖徳太子立像(平安時代制作・長野県指定県宝・親鸞が善光寺参りの際弟子になった釈善巧に与えたものと伝わる)は信玄の身代わりになって助けたという伝説が残っている。

本堂内部の欄間に鶴を題材とした彫刻があったが、全面金箔が施された立派なものだった。