源頼朝公寄進と伝えられる桜3本の中の1本である地主桜(じしゅさくら)が鐘楼の側らに植えられていたが、八百年の星霜を得て老衰、昭和40年頃から枯れ死の様相甚だしく、鐘楼周辺の風致を損ねるに至ったそうだ。 しかし、昭和51年、老衰により枯れ朽ちようとしていた親株より新芽が生い立ち、小枝をのばし始めた。
それが3年後には1mを越え、昭和61年頃には親株を乗り越え、枝も繁茂して来た。
その頃、親株も安心したか、根元から完全に朽ち折れてしまった。
新生「地主桜」は、今や、幹周2.85m、樹高18mを越え、空に大きく枝を張り、堂々たる「地主桜二世」になった。 |