D90が観た画像  d90-11177

撮影地 神奈川県川崎市麻生区
撮影日時 2011−10−28 
作品のタイトル 日本最古の甘柿 禅寺丸柿の原木(樹齢450年)
作品の概要 禅寺丸柿は、鎌倉時代前期にあたる建保2(1214)年に現在の川崎市麻生区王禅寺地内、星宿山王禅寺の山中で発見され、果実の甘さが記録されたことにより日本で最初の甘ガキとして歴史に名をとどめている。

伝承によると、発見から約150年後の応安3(1370)年に、元弘3(1333)年の新田義貞の鎌倉攻めの兵火を被り消失した王禅寺の再建を、朝廷が等海上人命じた。
等海上人は再建の用材を求めて寺の裏山に入り、柿の熟しているのを見つけ、あまりにも美味であったため、持ち帰り、村人に接木をして栽培させるとともに、近隣にも栽培を広めていったと言われている。
小田急線に『柿生』と言う駅舎がある・・王禅寺から2キロほどの柿生地区、岡上の東光院までは3キロほどの距離の村里は、かっては柿の木の畑であったろう。
約100年後には横浜地域や南多摩地域にも栽培は広がった。
東京都調布市佐須の都天然記念物である「禅寺丸古木」や、同じく調布市深大寺の市天然記念物「禅寺丸古木」などは、禅寺丸柿の栽培の広がりを示すものといえる。
当初、禅寺丸柿の名称は王禅寺の丸い柿と呼ばれていたが、元禄時代頃に現在の禅寺丸柿の名で呼ばれるようになったと言われている。
ところで、疑問点が2つ有る。
一つは、1370年頃の原木は、一度朽ちている・・・現在は、ひこばえが4本育っている・・そのひこばえの一本が樹齢450年で有る。  ・・・200年ほどの空白期間が有る。
もう一つは、境内に有る『禅寺丸』像だ。 ・・・ インドや中国の仏教の守護神に、褌をした柿の好きな鬼がいるのかな?
禅寺丸柿の補足説明 川崎市教育委員会ホームページにて

  

 

現在は、都市化の波で山野は開発されているが、鎌倉時代に遡れば、鎌倉から高崎に行く道が「上道」、鎌倉から宇都宮に行く道が「中道」、鎌倉から松戸に行く道が「下道」と言われていた。

東京都府中市の国府(国分寺の有る所)から鎌倉幕府の有る鎌倉までの間は、「上道」の他に、稲城市の多摩丘陵から川崎市の麻生の丘陵を抜ける「山道」が有り、まさに人の住む里ではなく、まさに山間部で有った。

ところで、『王禅寺』は、平安時代の921年(延喜21年)、高野山の無空上人によって開山され東国鎮護の勅願寺となった。
鎌倉幕府が滅んだ1333年(元弘3年)には、新田義貞軍によって焼き尽くされたが、1370年(建徳元/応安3年)金沢称名寺(京浜急行の金沢文庫)の等海上人によって再興され、「関東の高野山」とも呼ばれている。
ちなみに、地名に「王禅寺が付いている」領域を計測して見ると、東西2.4キロ、南北1.6キロも有る。