慶応4年(1868年)5月23日 飯能戦争
振武軍は飯能に退き、500人が市内6カ所の寺院に分かれて逗留した。 当時、飯能には一橋家の領地が多く、「振武軍」の幹部の一人・渋沢成一郎により土地勘も有った為だといわれている。
2〜3千の新政府軍の攻撃により、振武軍はたちまち散り散りに敗走した。 この時、砲火により振武軍の宿泊先の能仁寺などの6つのお寺や2百戸以上の民家が炎上した。