D90が観た画像  d90-13213

撮影地 東京都上野
撮影日時 2013−12−29 
作品のタイトル 師走のアメ横散策
作品の概要 師走の風景を取材するにはと新年の風景を先取りしようと、「アメ横」が最高の狙い目かも。
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テレビの「あまちゃん」の影響も有ったけれど、・・・ 別に「アメ横女学園」を見てきたわけではなく、師走のアメ横の混雑振りが目的です。
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ところで『アメ横』の由来を知ってますか?
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終戦直後、現在のJR山手線上野駅〜御徒町駅間に多数のバラック店舗が軒をつらねた簡易マーケットが建設されたところにさかのぼります。
食料難の時代であり、砂糖なども不足していました。
昭和22年後半になると、サッカリンという砂糖に代わる甘味料を原料とした「アメ菓子や芋アメマーケット」で売り出され大ヒット。
周辺にあった商店の次々とアメ菓子をうるようになり、その数は、300軒近くに膨れ上がりました。  そして、『アメ屋横丁』となります。

昭和25年以降になると、朝鮮戦争の勃発の影響もあり、アメリカ軍からの横流し晶、例えば貴重な砂糖や払い下げのパンツ、衣類などが大量に流れ込んできました。  そして、『アメリカ横丁』と呼ばれました。

昭和56年にアメ横は大火災に見舞われ、その跡地にアメ横センタービルが建設されました。
当時は現在のショッピングモールの先駆けというようなアメ横を象徴するシンボル的存在であり、日本全国よりお客様が訪れて大変賑わいました。

アメ横は、年末のお正月商材の買出し風景(1日約50万人前後)でおなじみですが、普段の平日でも10数万人の人出があります。
大型連休などは年末に迫る程の人出の場合もあります。

かつて林家三平師匠のCMニキ、ニキ、ニキ、ニキ、二木の菓子!』でおなじみの店舗は、昭和22年、二木源治が、『おこし』、『バクダンあられ』、『かりん糖』などの行商を始めたのが始まりです。

「二木の菓子」の前にあるお寺の名前は『魔利支天 徳大寺」です。
このお寺は山号を妙宣山、寺院名を徳大寺と称し、600年前に”慈光院日遣上人により、この地に創立されました。
宗派は日蓮宗、総本山は身延山久遠寺(くおんじ)です。
”魔利支尊天」(梵語 Marici)は元来はインドの民間信仰の風神の一つとか。
”魔利支天”は「陽炎」あるいは「威光」と訳され、「気力・体力・財力」を与え、
「厄を除き、福を招き、運を開く」守護神で、「アメ横」の大切な守り神様です。

最後に紹介したいのが、『アジアン屋台』です、中国や韓国やトルコなど多国籍の屋台・10店舗ほど軒を並べ、お客を呼び込んでいます。
大変美味しくて楽しそうでした。  まさに、異国情緒を感じました。