D90が観た画像  d90-14085

撮影地 神奈川県 秦野市堀山下1075
撮影日時 2014−4−18 
作品のタイトル 蔵林寺の春もみじ(黄葉と赤葉)
作品の概要 秦野戸川公園の手前500mほどの所に「蔵林寺」はあった。
車窓からチラッと見えた「黄色い花」らしきものが気になり立ち寄る事となった。
境内に入って見ると、もみじの木だった。
本堂の左手は水子地蔵の背後に、もみじの若葉が鮮やかな黄色、本堂の右手は観音様の背後に、もみじの若葉がくすんだ赤色の「春もみじ」である。

ネットでいろいろ調べてみたものの詳しくは判らないが、
おそらく・・・・・
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観音様の後のもみじは、極細葉系の『稲葉枝垂れ』・・・下垂性で赤紫の紅葉が美しいと・・・若葉は赤紫で、青葉は緑で、紅葉時は赤紫だとか。

水子地蔵の後のもみじは、『鬱金(ウコン)』・・・新芽が黄緑で葉が小さい(特に新芽時は黄色が強い)、青葉は緑で、紅葉時は黄色だとか。
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ところで、このお寺は大名家の菩提寺である。

蔵林寺には米倉一族男女合わせて50余名の霊が眠っています。
米倉氏は甲斐国(山梨県)の出身で武田氏の家臣でしたが、武田家滅亡後は徳川家に仕えました。
米倉清継は天正18(1590)年に徳川家康より、堀山下の一部の200石を領地として給わりました。
その後、清継の孫である米倉昌忠は元禄3(1690)年に徳川綱吉より丹後守に任ぜられ、元禄9(1696)年には若年寄の職に就き、相州、武州、上州の一部に領地を給わり1万石に加増され、大名に列せられます。
昌忠は先祖供養のため蔵林寺の本堂、庫裡、山門を建立し、昌忠自身も蔵林寺に葬られています。