D90が観た画像  d90-14197

撮影地 東京都あきる野市横沢
撮影日時 2014−9−26
作品のタイトル 大悲願寺の天井絵と彫り物
作品の概要 大悲願寺は、千四百年の昔、聖徳太子が全国行脚の際この地に一宇の草堂を建てたのが起源とされ、あきる野市屈指の古刹です。

山号は、金色山(こんじきさん) 吉祥院(きっしょういん)大悲願寺(だいひがんじ)。
史実によれば、建久二年(1191)源頼朝の命により、京都醍醐寺澄秀僧正を開山として平山季重が建立した。
正平九年(1354)には鎌倉公坊足利基氏、氏満より寺領二十石を賜り、明治維新まで受け継がれた。
歴代住持では中興の祖四世澄遍、徳川家康の信任厚かった十三世海誉、木活字を彫って活版印刷を行い経本を作った二十四世如環、そして猊座につかれた密教学の大家三十四世精神等の業績は特筆される。
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ところで幾つかの建物と彫り物に話を移そう。
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境内は、樹齢五百年を超える大杉に囲まれています。

『仁王門』
慶長18年(1613)に建てられた後、寛文9年(1669)に再建されており、現在の建物は安政6年(1859)に再々建された物です。
両脇に仁王像が安置されています。
中央通路の格天井(こうてんじょう)は大日如来の梵字(ぼんじ)を囲んで草木の花が描かれており、作者は幕末期の絵師藤原善信。
さらに、仁王像の天井には右・天女、左・迦陵頻伽(かりょうびんが)(極樂の鳥)と、北側・袖天井に雲竜図が描かれており、作者は幕末期狩野派画家として、多摩地域に盛名があった森田五水(ごすい)。

『観音堂(無畏閣)』
寛政6年(1794)に建立され、文政10年(1827)に向拝が取り付けられております。
堂の内外には各所に彫刻が飾られ、特に向拝の飛龍と王巵弾琴弾琴と左右欄間の地獄極楽図が見事です。
天保5〜13年(1834〜1842)に嵌め込まれた彫刻ですので、時代の経過で色あせていましたが、平成18年に修復され、綺麗に彩色されています。
軒下の蛙股の彫物だが、テーマが多彩であり、彫りも丁寧です。
鶴にや亀に乗った王子喬、黄安などの仙人、二十四孝の土の中から釜が出る郭巨、象が田を耕す大舜、筍を掘っている孟宗、中国の故事の温公甕割りなどのほか、おしどり、燕、鷹、鶴、鷺や馬や兎などの鳥獣などと多彩です。

彫物には、奉納した施主の札があるので施主の好みだったのだろうか。
彫師の名前が判らないのですが、無畏閣の建立時期や向拝が取り付けられた時期に、本堂が高尾村の大工が建てている事もあり、仁王門の格天井の絵も地元の絵師である。
よって、江戸から招いた彫師ではなく、地元や八王子周辺の彫師だろう?

『お堂』
観音堂に向かって左手にある「お堂」にも四面に龍の彫り物が有った。