D90が観た画像  d90-15018

撮影地 神奈川県横浜市中華街
撮影日時 2015−1−11
作品のタイトル 昭和の匂い・・横浜中華街
作品の概要 幕末に横浜港が開港してから、西洋の商人は日本人との交渉の為に「漢字の筆談が出来る中国人」を一緒に連れてきた。
その中国人は次第に「三把刀」(刃物を使う料理人(包丁)、裁縫師(鋏)、理髪師(剃刀)の三つの職業)へと進化していく。

明治元年(1868)には横浜に暮らす中国人、いわゆる華僑(約1000人)が現在の一角に居住し、関帝廟、中華会館などが設けられ、中華街の原型ができた。
明治32年(1899)に居留地が廃止されると、その人口はさらに増加し、20世紀初頭には5000人に達し、華僑社会はさらに発展を遂げていく。

大正12年の関東大震災、昭和12年の日中戦争で、華僑は減っていく。
第二次世界大戦の空襲で焼け野原となるが、横浜に生まれ育った華僑たちにより、戦後になると、近くにGHQ本部が置かれたこともあり、米軍相手の商売で盛り返します。
戦勝国である中国からの物資に恵まれ、飲食店が100軒近くになり、香港との往来も復活して横浜港は賑わい、南京町も発展した。
昭和30年(1955)、中華街大通りの入り口に「牌楼門」が建てられ、門の上に「中華街」と書かれたことで、この街は次第に「中華街」と呼ばれるようになった。
昭和47年日中国交正常化がきっかけとなり、パンダブームなどとともに中華料理目当ての日本人観光客が横浜中華街に足を運ぶようになった。
2004年に、横浜高速鉄道みなとみらい21線が開業し、終着駅として「元町・中華街駅」が設置されると、観光客が急増した。

町並みは戦後に建てられた建物ばかり、大通りは有名店が軒を構えていますが、昨今のグルメ雑誌などの影響も有り、細い路地や裏通りにも行列を作る店が有ります。
店の裏側や袋小路に入ると、道幅の狭い住宅街になっています。