私の生い立ちは、鎌倉幕府の頃に、利根川の河口に土砂が堆積して土手があったそうな。
台風の時、何処からか、折れたイチョウの小枝が吹き飛ばされてきて土手に突き刺さったそうな。
やがて、その場に根付き、樹齢50年頃に、里の村人達が、瑞兆であるとして、イチョウの木のそばに「稲荷神社」(応仁2年(1468)に創建)を祀ったそうな。
そして、500年が経ち、樹高15メートル、幹回り4.8メートルの神木として楽しい日々を過ごしていた。
「大東亜戦争」も終焉間近に、アメリカ軍の「東京大空襲」が敢行され、墨田区押上一帯の下町は火の海となった。熱かったよぉ〜。 苦しかったよぉ〜。 悲しかったよぉ〜。
火事がおさまってから、私の体を見上げて見たら、9割ほどが大火傷でした。
でもね、墨田区の人達の復興に対する頑張りを見ていると、私も600年の間には、雷に打たれたり、豪雪があったり、利根川の氾濫があったり・・・。
すぐ近くに東京スカイツリーも出来ると言うので、焦げ跡は消えないけど、樹皮が1割残っていたので、生きる望みを棄てなかったよ。
春になれば、若芽も出て、緑の神木が見れるよ。
それはそうと、今年は、戦後70周年だよね。
焼け野原だった下町もすっかり復興し、東京のシンボルのスカイツリーも私と背比べをしているよ。
それからね、境内には樹齢150年の若いイチョウの木も8本あってね、4本ほどが、痛々しい傷跡を残しているんだよ。
子供向けの絵本も作られているよ。 ⇒ 読んで見てね。 |