漁村だった浅草に観音堂が建ち、江戸時代以降に花街も出来、江戸一番の有楽街は、度々大火災に巻き込まれています。
もっとも被害の大きかったのは、『大正12年9月1日の正午に発生した「関東大震災」後の火災』、同時に各所に発した火のために、大東京の大半、横浜・横須賀の全部は焼き払われ、死者も10万人を超えたとか。特に下町は、混みいった街並みで、木造建築のため、倒壊し、燃え広がる一方である。
浅草寺境内には10万人ほどが避難して来た。
貯水施設や自衛消防隊などの活躍のおかげで、「本堂」と「五重塔」は類焼をまぬがれた。
と、同時に、イチョウの枝先から大量の水が吹き出されたそうだ。
この「水吹きイチョウ」の伝説は、相当の昔から有るもので、神社やお寺では防火壁(防火樹木)として採用されている。
が、昭和20年の空襲は、空から爆弾が降ってくるため、私の頭は飛ばされてしまって、水を吹き出す余裕も無かった。
燃えた頭部は10メートルほど離れた所にいる樹齢150年の仲間に当たり、火傷が原因で立ち枯れの状態です。 |