樹木は語る |
当社の創建は、約千百年前に遡るそうだ。
醍醐天皇の時代(898〜929)、理源大師の徒弟である筑波の貞崇僧都、行基作と伝えられる薬師如来像がこの地に祀られ、円照寺が創建される。
当時は神仏習合といって、神社とお寺が密接につながっていた時代でした。
その際、寺の鬼門鎮護のため当社が創建されたと伝えられています。
また創建以前から、この地は一つの伝説が伝えられていました。
それによると、武の神様として名高い日本武命が天皇の命によって東国の平定に向かったとき、当地に甲冑六具を蔵めた(しまいかくした)というのです。
鎧にまつわる話はこれだけではありません。
天慶三年(940)、関東に威をとなえていた平将門公が藤原秀郷によって討たれると、この地の人々はその死を悼み、天暦元年(947)、将門公の鎧もまた当地に埋めたそうだ。ところで、イチョウの大木は、拝殿に向かって左手前に有る。
正面から見れば、火傷の後遺症も無い様だが、横から見ると、根元から樹脂を塗りこんで、まるで焼け焦げた当時の幹の姿に見せてはいるが・・・・。
ご神木のイチョウなので、他所のイチョウのように空洞にしているよりは見映えもいいかも。
いずれにせよ、このイチョウの樹のおかげで、拝殿の延焼は免れた様だ。 |