芝公園一帯は、江戸時代には増上寺の境内であった敷地が、明治6年の公園制定の太政官令によって公園として開放された、日本最古の公園の一つです。
第二次世界大戦後、政教分離政策のために増上寺と切り離され、敷地の外周部分は都立芝公園になったが、この一角は様々ないきさつを経て、現在は港区立芝公園となっています。
交通量の多い日比谷通りに面した公園の一部ですが、戦後焼け野原から復活した公園だけあり、沢山の樹木が植樹されており、空襲の被災樹木を探し出すのに苦戦しました。まずは、「伸びゆく子ども像」を目指します。
10メートルほどのところに幹回り4mほどのイチョウの大木の根元まで炭化している樹に出会います。
20メートルほどの場所には、枯死した幹のあるスダジイの樹がありました。
さらに、100mほど離れた場所に、「こども平和塔」があり、近くに、幹の一部に枯死したイチョウの樹が見つかりました。 |