東京都の重要文化財として認定されております『赤坂氷川神社の社殿』は、徳川八代将軍吉宗公が造営をされており、安政の大地震、関東大震災、東京大空襲を奇跡的に乗り越え、当時の木造建築のまま現在に至っております。
一方、祭礼の象徴の一つでもあります「宮神輿」や、「江戸型山車」は、東京大空襲の折に消失してしまいました。幕末に、神社下の近くに「勝海舟」の屋敷が有り、勝海舟命名の『四合(しあわせ)稲荷』も境内に有ります。
ところで、社殿から40メートルのところに、推定樹齢400年以上の巨木イチョウの樹が2本有ります。
ご神木の標しのシメ縄がある方は、空襲被災のダメージが小さいですが、もう一本のイチョウの樹は倍の太さが有りますが、空襲被災のダメージは大きいです。
ご近所の人が教えてくれました。
参道を入ってくると、3対の狛犬が有ります。
手前から境内へ進むにつれ「昭和の狛犬」、「大正の狛犬」、「明治の狛犬」で表情が全く異なり、時代の世相を感じました。
もう一つ、「赤穂浪士にゆかりの土地でした」・・・忠臣蔵・浅野内匠頭の夫人
瑤泉院の実家である浅野土佐守邸跡で、大石内蔵助が討ち入り前に訪れて別れを告げたといわれています。。 |