この場所に橋が架けられたのは江戸時代の中期、元禄11年(1698)です。
北詰には船手番所が置かれ、諸国廻船が往来する江戸水運の要所に位置していました。
河岸には土蔵が建ち並び、陸揚げされた荷駄が行き交う活気に満ちた界隈であったようです。
また、吉良邸への討ち入りを果たした赤穂浪士は永代橋で大川(現在の隅田川)を渡ったのち、この橋を経て泉岳寺をめざしたと伝えられます。
当初は、「乙女橋」とも呼ばれていました。その後、幾度かの落橋・焼失、再架を経て、明治36年(1903)1月に長22間・幅4間の下路式プラットトラス橋が架けられ、初めて鉄橋化となります。
大正12年(1923)の関東大震災で落橋し、震災復興橋梁として、昭和2年震災復興橋として改架され、現在の姿に至ります。
梯子(はしご)を横倒にしたような外観を持つ、『フィレンデール橋』と呼ばれる全国でも珍しいデザインです。
「都市景観との調和」に気配りし、永代橋とマッチするように、シンプルなデザインのなかに鋲止形式という古い形態を残し、重量感のある鉄骨橋梁の代表例、全国に数例しかなく希少価値の高い橋となっています。
橋は夜になるとオレンジ色にライトアップされ、その美しい姿がより一層引き立ちます。
隅田川周辺の夜景散策に訪れた時にはぜひとも合わせて立ち寄りたい夜景スポットです。 |