D90が観た画像  d90-15241

撮影地 東京都中央区  隅田川界隈
撮影日時 2015−10−9および10−18
作品のタイトル 隅田川夢現(ゆめうつつ) ・・ パリ広場之景
作品の概要 高層マンションが建ち並ぶ大川端リバーシティ21のウォーターフロントにある石川島公園。
隅田川の川面から清々しい風が吹き抜ける公園の北端には、水辺に面した板張りのデッキがあり、そこから少し登ったところに「パリ広場」が広がっています。
パリ広場は、御影石を敷き詰めた約直径30メートルの円形で、それを取り囲むようにベンチが置かれています。
この辺りは、南西に向かう本流と南の方に向かう支流の隅田川の分岐点となっており、パリ広場から北を眺めると、丸いアーチの永代橋が望め、西に目を移せば中央大橋が見えます。
勝鬨橋方面から中央大橋を潜って来た屋形船は、上流の永代橋方向と下流の相生橋方面へと航跡を残しながら通り過ぎていく様子が眺められます。

この広場が「パリ広場」と名付けられたのは、東京都とパリ市の友好関係によるものです。
平成9年(1997)は「フランスにおける日本年」で、パリの16区に「東京広場」が造られました。
そこで、東京都から「日本におけるフランス年」である平成11年(1999)に、この石川島公園内に「パリ広場」が造られ、日仏友好の証となりました。
この場所が選ばれたのは、隅田川とセーヌ川が友好河川であること、平成3年(1991)に当時パリ市長であったシラク現フランス大統領から贈られた3本のマロニエの木が、石川島公園内に植えられていたということです。

この地区の歴史は・・・
江戸時代には、「隅田川」 の河口付近には 「佃島」 と 「石川島」 の二つの島があった。
「石川島」 はその昔は 「鎧島(よろい じま)」 と呼ばれる無人島であり、この 「鎧島」 に 石川八左衛門 が屋敷を建てたことから、「石川島」 と呼ばれるようになった。
「石川島」 には、江戸時代は 「人足寄場(懲役場)」 があった。
これは現在でいう 「刑務所」 で、軽犯罪者の更正施設としての役目を果していたらしい。

その後・・・
幕末の嘉永6年(1853)、黒船の来襲に驚いた幕府の命により、水戸藩が石川島に 造船所 を建造し、「石川島造船所」 と命名された。
軍艦の建造を目的としたもので、この造船所は明治政府にも引き継がれて、後の、 「石川島播磨重工(IHI)」 の発祥であった。
IHI の工場跡地は 「リバーシティー21」 の高層マンションへと姿を変えた。

   

   

    過去7年間、今日のお薦めの一品として、作成したものをジャンル別に紹介しています。   2009-9-19から、Nikonカメラの『D90』を愛機として、撮影を開始しました。   1999年のホームページ作成時からの作品集です。
画面表示のためのツールも技術習得の為にいろいろと取り込み、
数多くの技法を習得し、シリーズ作品集として、管理しております。