南湖公園の起源は、12代白河藩主・松平定信(楽翁公)が「大沼」と呼ばれていた湿地帯に堤を作って水を貯め、庭園の要素を取り入れて享和元年(1801)に築造された日本最古とも言われる公園は、1周約2kmの湖周辺に広がっています。
当初は単に「南湖」と称されました。
南湖の名は、中国唐時代の詩人李白が洞庭湖に詠んだ詩「南湖秋水夜無煙」からと小峰城の南に位置することからと伝えられます。
定信は、「士民共楽(武士も庶民も共に楽しむ)」という理念のもと南湖を築造しましたが、身分の差を越えて誰でも憩える茶室「共楽亭」を建てたことからもその理念への強い思いがうかがえます。
大正13年には「南湖公園」として国の史跡名勝となり、定信の理念とともに現在に受け継がれています。
植えられた松・桜、楓などは四季折々に典雅な風趣をたたえ、多くの人びとを魅了し続けています。定信は南湖築造のあと、大名庭園に作られる「名所」と同様に、南湖の周囲に十七の景勝地を選びました。
景勝地には和漢二つの名称を付け(例えば「南湖(漢名)」「関の湖(和名)」)、その景勝を詠んだ和歌と漢詩を親しい公家や諸国の大名・儒者に依頼し、寄せられた和歌・漢詩を一石に刻んだ「南湖碑(南湖十七景詩歌碑)」を建立しました。
私は紅葉の時期に歩いたのですが、湖面に鮮やかな色を映す紅葉と那須連峰を借景とした眺めはまさに、スケールの大きな絶景でした。 |