皆さんの中には「棚倉町(たなぐらまち)」が何処に有るのか知る人は多く無かろう。
江戸時代には10万石の城下町だった。
しかし、戊辰戦争で板垣退助率いる官軍に棚倉城と城下町を焼かれ壊滅状態になり、明治以降は山間部の田舎町になってしまった。最近の事だが、「東北の小京都」としてかっての栄光を取り戻そうと、町をあげて、取り組んでいるそうだ。
ところで、私が「棚倉の町」に惹かれたのは、「全国の城巡り」をしている時だった。
しかし、鉄道では水戸と郡山を結ぶ「JR水郡線」・・・2時間に一本では、交通の便は悪いので諦めていた。
次ぎに、「全国の一本桜」探索の時には、城下町・棚倉には形の良い一本桜が有るのだが、やはり交通の便の悪さから諦めた。
今回、新幹線の停車する新白河駅からバスで40分の距離なので、以外と近い事に気が付いた。
4時間の滞在時間が組めたので、城跡と城下町の雰囲気を満喫出来るだろうと喜んだが、あいにく、年間数度の大イベント(わくわく東白川ご当地キャラまつり)にぶつかり、目論んでいた「静かな街歩き」は、古寺一つで終わってしまった。 |