作品の概要 |
港の見える丘公園の近くにある、外国人専用の墓地の起源は・・・。 150年前の横浜での出来事をちょっとだけ振り返ってみよう。
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1854年、ペリーは開国交渉のため7隻の艦隊を率いて再度来日した。
しかしその時、乗組員ロバート・ウィリアムズという24歳の二等水兵が戦艦上で事故死してしまう。
ペリーは、この水兵の埋葬地と共にアメリカ人用の墓地を幕府に要求。
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異郷の地・横浜で没した外国人、40カ国余り、約5000人が1万8000平方m(5,600坪)の敷地に眠る。
生麦事件の犠牲者リチャードソン、旧国鉄の初代技師長モレル、電話技師メーソン、フェリス女学院創立者キダー、日本に漫画を伝えたワーグマンら文明開花の功労者をはじめ、著名人の墓も多い。
せっかく、夜のお散歩なので、周辺をぶらついて見ます。
「港の見える丘公園」からの夜景も、「湾内」や「ベイブリッジ」や「本牧埠頭のガントリークレーン」もまぢかに見え、なかなかのビューポイント。
周辺の洋館もライトアップしていました。 |