続いて『青線地帯』とは・・・のおさらいです。 1946年(昭和21年)に内務省が風俗取締対策の通達を出した。
特殊飲食店の営業許可なしに、一般の飲食店の営業許可のままで、非合法に売春行為をさせていた区域を地図に青い線で囲み、俗に「青線」あるいは「青線地帯」、「青線区域」と呼んだとされている。
非公然売春地帯(若しくは非合法売春地帯)だから、検梅はなかった。
「青線」は「赤線」の隣接地域に多く、歌舞伎町の一部、横浜黄金町の一部が「青線」地区だった。
売買春の料金も安かったが、その内容は、「ちょんのま」と言われる『ショート』や『お遊び』であった。
地下鉄の「吉野町」駅で出合った年配の駅員さんは、さらに言う。
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京浜急行のガード下に有った『クラブ長屋』の真ん中に、交番が出来て、日ノ出町から黄金町に掛けての飲み屋街を取り締まり始めたので、大人の遊び場が死んでしまった。
横浜市では、今、黄金町を、「アートの街」というコンセプトを打ち出して街の再生をはかっており、空き家になった飲み屋を、内装工事して、アートセンターを作り、様々なアーティストに間貸ししているので、芸術家の卵たちが活動するギャラリーや工房が少しずつ増えていっている時期だった。 |