D90が観た画像  d90-16046

撮影地 東京都台東区浅草
撮影日時 2016−3−13
作品のタイトル 花街・吉原・史跡と悲話の夜景
作品の概要 江戸時代から「風俗の街」だったものの300年も続く歴史の町ともなると、浅草の名所もあれば、遊女の悲話も多い。

文学的には、樋口一葉の住いが有り(吉原遊郭まで100メートルの場所)小説「たけくらべ」で知られ、永井荷風はたびたび「浄閑寺」を訪れ、遊女を題材にしている。

悲話としては、「浄閑寺」と「弁天池(べんてんいけ)」が代表される。
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「浄閑寺」は、1855年の大地震の際、多くの吉原の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから「投込寺」と呼ばれるようになった。
江戸時代、吉原の女は、売られたときに、本名・年齢・生国などの戸籍(人別帳)を抜かれてしまう。
残された記録には、戒名と死亡日、そしてどの店の売女だったかしか残されていない。
昭和初期の遊女は一日平均して5人以上と性交渉、大正時代は1日で12人と性交渉していたそうだ。
だからだと言うわけでもあるまいが、浄閑寺には現存するだけで数千人に及ぶ遊女の記録が残っており、それを辿ってみると死亡時の平均年齢は二十二歳前後となっている。

境内にある「新吉原総霊塔」は、そんな体を売った女たち二万五千の魂を慰めるべく建てられたものだ。
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「弁天池(又は花園池)」は、1923年(大正12年)関東大震災に伴う火災で逃げ遅れた遊女らが、弁天池に飛び込み490名の犠牲者を出すという悲劇に見舞われた。
現在は、池の姿も小さくなり、見る影も無いが、関東大震災の犠牲者を悼む観音像が残っている。

余談であるが・・・・、
「浄閑寺」や「弁天池」の前で、デジタルカメラで撮影しても、成仏できない霊が写真に入ってこないが、赤外線カメラだったら数万の霊を撮影できるかも。

話しは代わって、史跡としては、
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飛不動尊や超特大の熊手の有る「鷲神社(おおとりじんじゃ)」や酉の寺と言われる「長国寺」や「吉原神社(よしわらじんじゃ)」が有りました。

   

   

    過去7年間、今日のお薦めの一品として、作成したものをジャンル別に紹介しています。   2009-9-19から、Nikonカメラの『D90』を愛機として、撮影を開始しました。   1999年のホームページ作成時からの作品集です。
画面表示のためのツールも技術習得の為にいろいろと取り込み、
数多くの技法を習得し、シリーズ作品集として、管理しております。