本覚寺境内には、本堂(大正時代の創建)、山門((仁王門)江戸時代のもの)、夷堂、そして、日蓮御分骨堂がある。
現在の本覚寺の山門がある場所の前には、夷堂と呼ばれる堂があった。
この夷堂は、源頼朝が鎌倉幕府の開幕の際に、幕府の裏鬼門(南西)にあたる方向の鎮守として建てたとされ、天台宗系のものであった。
文永11年(1274)に佐渡配流から帰った日蓮が一時、この夷堂に滞在し、辻説法などの拠点としていた。
その後の永享8年(1436)に一乗院日出が日蓮にゆかりの夷堂を天台宗から日蓮宗に改め本覚寺を創建したという。
後に身延山を再興した第2世の行学院日朝は、身延山への参詣が困難な老人や女性のために、身延山より日蓮の遺骨を分骨して本覚寺に納めた。
これが、本覚寺が「東身延」と呼ばれる理由である。ここの枝垂桜は
その縁で身延山から移されたものだそうだ。
姿がよく立派で満開時の華やかさは枝垂れならではの美しさだ。
樹齢は不明だが、樹高10メートル、枝張り15メートル、幹回り1.9メートル。 |