神田川沿いに形成された城西(皇居からみて西の方角)第一の花街だった。
都庁から直線で1600メートルほどの場所ですので、まぢかに超高層ビル群が目に入ってきます。『神田川』と言えば、
かぐや姫の歌にある「神田川」が想い出される事でしょうが、都心の下水工事の結果、川底は、大雨の際の増水を飲み込むため深く掘り下げられているため、昭和の風情は残っていない。
地下鉄の駅から100mほど歩くと「赤い欄干の橋」が「新橋」で、神田川を渡った右手一帯がかっての花柳界、いわゆる三業地(芸妓置屋、待合、料亭)のあった場所です。
昭和41年ころで、料亭41軒、芸者130人だったそうです。
とは言っても取材するためには歩かなければならず・・・・。
当時の流れを汲む者なのかは判らないが飲食店は数多くあった。
しかし、セックス産業は衰退し、料亭は数軒残っていたが、大半の土地は売却され、マンションや建売住宅に変わっていた。
この街の話題は・・・『貴乃花部屋』でしょう。 |