境内は幅7m、奥行15mほどの広場であるが、道路に面した第一鳥居はコンクリート製の大きなものなので、戦前はもっと広かったのだろうか? 稲荷社の建物は横幅1間ほどの大きさで格式を感じられないが、鳥居前のソメイヨシノは戦後の植樹だが、イチョウの樹は境内の広さには似合わない大木である。
緑の枝葉が生い茂っているので、被災の傷跡が見えないが、地上5メートルあたりまでえぐれていた。
この小さな稲荷社は、創建年代は不詳ですが、現在、駒込天祖神社の飛地境内社となっているそうだ。
駒込天祖神社は、源頼朝が奥州藤原泰衡追討に際して文治5年(1189)神明を祀り創建したと伝えられ、また或は今井茂義が永享11年(1439)に奉祀したともいいます。
江戸時代には駒込神明宮と称され、駒込村の鎮守で、明治5年村社に列格してました。 |