樹木は語る |
天平13年(741)、行基が流木に薬師如来(元木薬師)を刻み、祀ったのが始まりといわれています。
光圓寺は、関東大震災の翌年である大正13年(1924)に幼稚園を設立。
幼稚園のHPによると、焼け野原の中で、当時の住職の「今、寺院としてできる社会貢献は、幼児を教育することであり、それが社会を再生していく道だ」という志が原点らしい。
昭和20年(1945)の東京大空襲では、寺も幼稚園も全焼しました。
戦前、文部省により日本一の大イチョウとして指定され、樹齢も千年を超えると折り紙をつけられた木ですが、東京大空襲で上部が焼夷弾の直撃で焼失。
幹の内部も空洞化して、柵が設けてあり入れなくなっている。
木の裏側は炭状になった木肌が残っていて、痛ましさを感じる。
焼けた形を残しながら、焼け残った部分から新しい枝葉を伸ばして、上へ上へと向かって生き続けています。(大正13年の記録では、樹高25.7m 幹周8.4m) |