D90が観た画像  d90-16110

サブタイトル 戦後70周年記念  「もしも私に口があったなら、あなたに伝えたい」
空襲被災地 文京区小石川4−12−8
被災樹木 イチョウ・1本 現在の樹齢 推定樹齢500年
樹高 10メートル 幹回り 10メートル
戦災日 1945−05−25
作品のタイトル 光圓寺(こうえんじ)のイチョウ
樹木は語る 天平13年(741)、行基が流木に薬師如来(元木薬師)を刻み、祀ったのが始まりといわれています。
光圓寺は、関東大震災の翌年である大正13年(1924)に幼稚園を設立。
幼稚園のHPによると、焼け野原の中で、当時の住職の「今、寺院としてできる社会貢献は、幼児を教育することであり、それが社会を再生していく道だ」という志が原点らしい。

昭和20年(1945)の東京大空襲では、寺も幼稚園も全焼しました。

戦前、文部省により日本一の大イチョウとして指定され、樹齢も千年を超えると折り紙をつけられた木ですが、東京大空襲で上部が焼夷弾の直撃で焼失。
幹の内部も空洞化して、柵が設けてあり入れなくなっている。
木の裏側は炭状になった木肌が残っていて、痛ましさを感じる。

焼けた形を残しながら、焼け残った部分から新しい枝葉を伸ばして、上へ上へと向かって生き続けています。

(大正13年の記録では、樹高25.7m  幹周8.4m)

道案内 地下鉄丸の内線の茗荷谷駅で下車して、国道254号(春日通り)を後楽園方面に歩くと、交差点「小石川5」で桜の名所の「播磨坂さくら並木」が左手に見える。
さらに歩き、交差点「小石川4」で左に入ると、善仁寺の塀が見えるので、今来た道を戻り、善仁寺をぐるりと回り、裏手に行くと、幼稚園を併設しているので、園庭が見えてきたら、お寺の石柱が見える。
園庭を横切るとイチョウの大木の一部が見えてくる。

撮影日

2016−7−17