3月10日の下町大空襲では26万8千戸の焼失で、4月13日の城北大空襲(豊島区・北区・渋谷区・新宿区・足立区・荒川区)では20万戸が焼失した。 戦前は、江戸時代から桜の名所として人気のあった飛鳥山や王子付近を流れる石神井川は、「音無川」と呼ばれる景勝地で、江戸時代の浮世絵にも数多く描かれていましたが、焼夷弾の炸裂は、北区一帯を焼け野原としました。
大田道灌が雨宿りしたと言う王子神社の森も、イチョウの樹一本を残して、全て灰となったそうです。
現在の王子神社の鬱蒼とした森は、全て戦後に植樹されたものとか。
境内に紛らわしいイチョウの樹が有りました。
幹回り1.8メートル、樹高15メートル、木肌にキズを負っていましたが、このイチョウは戦後移植されたもの。
さて、被災木のイチョウの木だが、案内板が平成23年に新しく架け替えられました。
それ以前は、昭和44年10月建設のもので、大正13年実測と有り、目通り幹囲は6.36メートル、高さは19.69メートルであったという。
いずれにせよ、石階段の登り終わりの場所に立ち、境内からは全体が見えず、写真撮影に難儀しました。
葉が落ちた冬場なら、焼夷弾の当たった樹頭部が撮影できるかも。 |