祭神は宇氣母智之神、和久産巣日神、宇迦之御魂神です。
江戸時代以前は、「岸稲荷」と称し、創建は不詳ですが、治承4年(1180)源頼朝が源義家の腹巻(鎧の一種)、薙刀等を奉納したと伝え、古くから関東惣社と称したということです。
社殿は、寛永11年(1634)に、王子神社とともに幕府の手で造営され、元禄16年(1703)にも幕府によって造営され、小田原北条氏についで、徳川将軍家代々の祈願所と定められてきた。
現在の社殿は文政5年(1822)十一代将軍家斉公により新規寄進されたもの。近くの王子神社あたりは焼夷弾の落下で焼け野原となったのですが、昭和二十年四月十三日の大空襲の際、猛烈な勢で東南より延焼して来た火災を、ここで完全に食い止めて西北一帯の住民を火難から救ったことは有名な事実であります。
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ところで・・・・『王子の狐』に絡み、話題が3つある。
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@ 関東稲荷総社の格式を持ち、江戸時代より庶民に親しまれてきました。
大晦日、稲荷の使いである狐が、近くの榎の下で身なりを整え、この神社に初詣をするという言い伝えがあります。
年末には地元の方々の催す「王子狐の行列」が新しい風物詩となっています。
A また、毎年2月の午の日に開かれる凧市は、たびたび大火にみまわれた江戸庶民たちが「凧は風を切る」として火事除けの縁起をかつぎ、今なお親しまれています。
B 境内にある「狐の穴跡」は、落語「王子の狐」の舞台にもなっています。
B番目の落語「王子の狐」付いては、「柳家小さんの噺」を見てみよう。
http://ginjo.fc2web.com/34oujinokitune/oujinokitune.htm
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