『東京大空襲』と言うと、3月10日に下町一帯が焼き尽くされた一件が大きくクローズアップされているのですが、終戦までに東京都内で空襲を受けた回数は「119回」も有ったそうです。 中野の空襲被害は、昭和19年11月24日に、鷺宮二丁目の子ども4人が流れ弾を受けて死亡したのに始まります。
本格的に空襲に見舞われたのは12月27日、以来20年5月25日の『山の手大空襲』まで、計7回の空襲を受け、区内の大半を焼失しました。
判明しているだけで、400人以上の方が亡くなりました。
正蔵院の境内に入ると、本堂の手前左手に被災したイチョウの樹が有り、樹の下には「戦没者慰霊」と「平和祈願の平和塔」が有りました。
樹のダメージは緑の葉が生い茂っているので良くわかりませんでした。 |