D90が観た画像  d90-16118

サブタイトル 戦後70周年記念  「もしも私に口があったなら、あなたに伝えたい」
空襲被災地 中野区中央2−33−3
被災樹木 イチョウ・2本 現在の樹齢
樹高 23メートル 幹回り 4.5メートル
戦災日 1945−05−25
作品のタイトル 宝仙寺のイチョウ
樹木は語る 創建は平安後期の寛治年間,源義家によって創建されたという。
奥州・後三年の役を平定して 凱旋帰京の途中で,陣中に護持していた不動明王像を安置するためにこの寺を建立したと伝えられる。

お寺をつくるとき、地主稲荷の神が出現して義家に「この珠は希世之珍 宝中之仙である 是を以て鎮となさば 即ち武運長久 法燈永く明かならん」と告げ白狐となっていづこともなく去った、とか。・・・これが「宝仙寺」の由来。

その後、この地において寺勢拡大し大寺となった。
護持院住職の隆光(五代将軍綱吉に畜生憐れみの令を出させた僧)や桂昌院(綱吉生母)との関係も深く,護国寺を開山するに当たり宝仙寺属の子院を寄付したことが記録に残っているほど。仁王門を入ると、明治になっての中野町役場跡。その後東京市中野区の庁舎として昭和初期まで利用された。墓地には堀江家歴代の墓がある。

中野の発展に寄与した堀江家の墓所が有ります。
先祖は越前(福井県)から農民十数名を連れてきて、小田原北條氏のもと中野の開発に着手したそうです。江戸時代・明治時代も中野の町村政のために尽力したとか。
お寺の境内には、町役場や区役所が有った証の石碑が有ります。

面白いもので、石臼の塚・・・一番上のものは「甘酒を擦るもの」と、
六地蔵と見送り地蔵が並んでいる配置です。

道案内 地下鉄「丸の内線・中野坂上駅」から5分。
イチョウの樹を残して、『山の手大空襲』で大伽藍や三重塔など焼失しています。

撮影日

2016−7−28