江戸時代には軍事上の理由から、隅田川に橋を架けるのは最小限度にしていた。
しかし、大正12年の「関東大震災」では、橋が無かったが為に火災で逃げ場を阻まれ犠牲者が多く出た。
「駒形橋、蔵前橋、言問橋、厩橋、吾妻橋」は、関東大震災の復興事業の一環として昭和2年から昭和6年の間に建造された。東京スカイツリーは、川下(隅田川下流)に行くに従って、高層ビルに邪魔されて見えにくくなって行く。
車道と歩道に分かれており、橋の中ほどには、半円のバルコニーがあって一休みする事も出来ました。
隅田区側へ渡りきった所に、なんだか歴史を感じさせる古い交番と、意味不明な女性像があった。
--------------------------------------
アーチの形状を見よう
----------------------------
『駒形橋』は、橋の中央部分はアーチが上にあって、両端部分はアーチが下にあります。
『吾妻橋』は、アーチが全部下側にある。
『厩橋』は、アーチが全部上側にある。 |