作品の概要 |
この寺は、鎌倉唯一の真言律宗のです。
建立したのは、北条義時の三男・重時。
重時は、執権を補佐する連署まで務めた人ですが、政冶に執着することなく、出家してその邸に極楽浄土の姿を現そうとして大寺建立を思い立ち、正元元年(1259)に造営を始めた。
ところが工事半ばの弘長元年(1261)に重時は亡くなった。
その子・長時と業時が父の志を継いで完成させた。
忍性が招かれて開山となり、最盛期は七堂伽藍を備え、大小49の支院があり、この広大な境内に、慈善救済の大事業を営んだ。
施楽院・悲田院・療病舎などの建物が並び、日夜多数の病者を収容し、貧者には無料で加療・施薬をした。
精力的な活動をした忍性は、さらに土木事業も起こし、各地に橋を189ヶ所、道は71ヶ所もあったとか。
ところが、1333年の新田義貞の鎌倉攻めの際の戦火でことごとく焼失してしまった。
その後、規模を縮小して再建されるものの、関東大震災(1923年)では本堂が倒壊するなどの大きな被害に遭い、現存の伽藍は山門が文久3年(1863)の建立であるほか、近代の再興であります。
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ところで、「極楽寺」なるおしゃれな寺名だが・・・・・
永禄4年(1561)成立の『極楽寺縁起』によれば、・・・・
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当寺はもと深沢(現・鎌倉市西部)にあった念仏系の寺院を正元元年(1259)、北条重時が当時地獄谷と呼ばれていた現在地に移したものであると伝えられています。
この地に、極楽寺が建てられたのは、現実には死骸が遺棄されたり、行き場を失った者たちが集まったりする「地獄」ともいうべき場所になっていたためともされています。 ・・・と、記されているそうな。昔の話はさておき、鎌倉を舞台としたテレビドラマで、極楽寺の駅舎や境内がちょくちょく登場しているそうな。
普段は、昼までも写真撮影禁止の寺ですが、今夜は初年度のライトアップのためか、お咎めを受けませんでした。 |