白鬚橋の取材からの帰り道、マップを広げると、「玉の井」や「鳩の街」なる地名が目に付いた。
「玉の井」や「鳩の街」を知る人は、その道の”通”である。空を見上げれば、東京スカイツリーが高くそびえている。
しかし、開発に取り残された街である。
街全体が木造建築と言っても過言で無い。
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鳩の街通り商店街は、昭和3年に設立された寺島商栄会から続く、90年近くの歴史を持つ古い商店街です。
東京大空襲をまぬがれた為に、通りの道幅は戦前のまま。
昭和初期からのレトロな商店と、建替えられた新しいショップがある個性的な商店街です。
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そもそも健全な商店街だった街が・・・・・なぜ、赤線に!
大正12年の関東大震災で浅草の「銘酒街」が被災し、移転先に「亀戸天神裏」と「玉の井」の空き地が選ばれた。
「玉の井」は大正13年で260軒、昭和20年で487軒の繁栄振り。
東京大空襲で1200人の娼婦が焼け出された。
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「玉の井」の業者の一部が、戦災の被害の無い「鳩の街」に目を付けた。
終戦直後は、米軍兵士の慰安施設として出発したが、兵士が性病に感染することが多いため、昭和21年(1946)に米兵の立ち入りが禁止された。
その後、日本人相手の特殊飲食店街(赤線)として発展した。
この街の店舗は、警察の指導でカフェー風に作られ、昭和27年(1952)当時は、娼家が108軒、接客する女性が298人いたと記録されている。 |