D90が観た画像  edojyo-012

撮影地 神奈川県小田原市早川
撮影日時 2016−9−12
作品のタイトル 江戸城の石垣・・早川石丁場群
作品の概要 江戸城の「石垣普請」の為に、石高により割り当てを課せられた西国の大名は、「安山岩」をもとめて東西奔走、豊臣秀吉の「北條攻めの為の一夜城建設」で、箱根外輪山の一角に大きな石が、地表に無数に転がっている場所を見つけた。
小田原市早川のこの場所は「箱根山のヒメボタル」の生息地のため、夜間3度来ているが、今回、初めて明るい時に着た。

戦後、植林したであろう杉の木は樹齢50年ほど、おそらく、400年前は地表には石しかなかっただろう。

斜面の下方には、「関白沢(かんぱくさわ)」が流れている。
実は、小田原・入生田から一夜城の裏手を通り、湯河原までの山の中腹を走る広域農道(ミカン畑の多い所)を造るために、関白沢を掘り返したら、江戸城に運ぶ途中の大きな石(長方形に加工されたもの)が10個ほど見つかった。
これらは、運搬の途中、何らかの要因で、沢に落ちたもの。
「落ちた石」は、落城に結びつくので、沢に放置したもの。
沢から拾い出した「加工石」は、広域農道に2個、一夜城の駐車場に6個、一夜城の登場口に2個、展示してある。

さて、時期が異なるので「ヒメボタル」はいないが、いつも歩く林道の斜面は、石丁場(いしちょうば)で、『矢穴』が穿たれた大きな石がゴロゴロしていた。
小田原市としては、貴重な遺産として、道路をコンクリートで埋める事をしないで、橋げたを掛け、「早川石丁場」として、後世に残す事にしたのだ。
よって、400年前の石の切り出し作業を垣間見る事が出来るのだ。
近くには、加工した石を運び出す道か現存している。

   

   

       

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