D90が観た画像  edojyo-022

撮影地 東京都千代田区 溜池
撮影日時 2016−9−21
作品のタイトル 江戸城の外濠・・溜池
作品の概要 江戸時代初期の水の流れを知っておきましょう。

現在の四谷三丁目にある「鮫川谷」の湧水に流れを発し、信濃町駅南側の「千日谷」からの湧水とともに、「赤坂離宮」の敷地の中を東に進み、離宮内の渓谷の湧水と合流して、赤坂見附で平地に出て、弁慶濠に流れ込む。
さらに、紀尾井町の「清水谷」の湧水と合流して、「山王日枝神社」下の低湿地を桜川との名称になり、虎ノ門を通り、埋め立て前の「日比谷入江」の海に流れる川となった。

現在の特許庁前に『堰』を造り、桜川を堰き止めたために、大きな沼(溜池)となり、江戸時代初期、江戸北部の神田上水が有ったように、江戸南部の上水源と外濠としての機能を持った。

溜池は当初、江戸の上水の役割を果したが、その後、溜池周辺に大名屋敷が立ち並ぶようになると水質が悪化し、神田上水(完成したのは慶長年間)、玉川上水(玉川上水の通水は1654年)の完成によって、上水源としての溜池は、次第にその役割を終えていった。

溜池は江戸中期から徐々に埋め立てられ、明治時代に完全に消失する。
桜川は、下水に近い川になったようです。
関東大震災後の都市整備により暗渠化され、現在、下流部はほとんど痕跡をとどめていません。
現在は道路に、「外濠通り」とか「地下鉄が道路下を走って」いるので、大凡の
溜池の有った場所が推測されますが、千代田区、港区の境界線が記されている地図を見ると、溜池の全貌が把握できます。

現代の工事に伴って、地下を掘るので、所々に石垣の発掘がなされ公開・保存され始めました。
霞ヶ関ビルの手前の「東京倶楽部ビル」の前庭に、三角形のモニメントが有ります。
この辺りが、『赤坂のドンドン』と呼ばれていた「溜池の水が堕ちる落口」となっていた場所らしい。
大豪雨のあとで、溜池が氾濫した場合は、この『ドンドン』は、高くはないですが、華厳の滝のような、凄まじい響きを立てて、水が「外濠」に落込んでいたものです。 

道すがら、物々しい現場に出くわします。
道路にバリケードを張り、警察官がこちらを睨んでいます。
さもありなん、「総理大臣官邸」だものね。

下の写真は、弁慶濠から溜池方向に流れていく水路口ですが、道路下で暗渠になってしまいました。

   

      

       

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