江戸城外濠に設けられた城門は雉子橋門が最後です。
一ツ橋門と同様に、江戸城内濠が近接しており、目と鼻の先に、「竹橋門」が見えるので、警備も厳重だったようです。
「雉子橋」の名称は、中国や朝鮮からの使節をもてなすための「キジ」がこのあたりで飼育されていたことに由来するそうです。
見附門の石垣の一部が残っていますが、しっかりした石垣になっています。雉子橋も関東大震災前の大正14年10月に完成しており、現役の橋です。
「日本橋川」はさらに、上流へと続きますが、九段下の俎(まないた)橋の上流部で埋め立てられ、神田川と分断されていました。
当時、暴れ川だった神田川の水が外濠に流れ込んで江戸城下に洪水を引き起こすのを防ぐためです。
現在の堀留橋付近から仙台掘り(神田川)との分流点までが埋め立て区間だと思われます。
この600メートルほどの区間は、明治時代に再び掘削されて、仙台掘り(神田川)の水が外濠にも流れるようになり、外濠は日本橋川となったわけです。 |