D90が観た画像  edojyo-032

撮影地 東京都千代田区
撮影日時 2016−9−25
作品のタイトル 江戸城の外濠・・日本橋川
作品の概要 東京駅前を通り過ぎ、外堀通りと永代通りが交わる呉服橋交差点を過ぎると、前方に「一石橋」が現われます。
下を流れているのが日本橋川で、上流(北西方向)から流れてきて、ここで東へ向きを変えて、隅田川に向かいます。
前回の東京オリンピックのために、羽田空港と渋谷のオリンピック選手村と競技会場をノンストップで結ぶ道路として、造られたもので、日本橋川は、ほぼ全区間、高速道路の高架が川の真上に覆いかぶさり、大変惨めな状況になっています。
日本橋川は、江戸時代初期の神田川の流路ですが、江戸城の防衛施設として、外濠の役割を担っていました。
さらに、江戸時代の荷物搬送は船が中心なので、水上輸送の役割も有りました。
「一石橋」、「常盤橋」、「新常盤橋」を過ぎ、JRのガード(東京〜神田間)を潜ると、竜閑橋の交差点があります。
この手前から北東方向に竜閑川という運河が隅田川へと通じていました。
外濠(日本橋川)に架かる次の橋は鎌倉橋です。
この橋は江戸時代にはありませんでしたが、この付近は鎌倉河岸と呼ばれ、江戸築城に際して鎌倉の材木商らが荷揚げに利用した場所です。

次の橋が「神田橋」、上流に「錦橋」がありますが、江戸時代には存在せず、その代わり、この付近には錦町河岸があって、荷揚げ場として利用されていました。
「錦橋」の上流には「一ツ橋」、「雉子(きじ)橋」、と橋が続きます。

日本橋川はさらに続きますが、九段下の{俎(まないた)橋}の上流部で埋め立てられ、神田川と分断されていました。
暴れ川だった神田川の水が外濠に流れ込んで江戸城下に洪水を引き起こすのを防ぐためです。
現在の「堀留橋」付近から水道橋駅近くの「三崎橋」や「新三崎橋」の流入口である「仙台掘」との分流点までが埋め立て区間だと思われます。
この区間は、明治時代に再び掘削されて、「仙台掘(神田川)」の水が外濠にも流れるようになり、外濠は日本橋川となったわけです。

   

      

       

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